「第二十九回相模原薪能」では能・狂言の他に「独吟」が上演されます。
能楽を共に歩む「狂言」と「能」の違いを考えると、能には必ず囃子が入る。
ここが能と狂言と大きく区別される部分だと思います。
能は「囃子・謡・所作」を統合した形を上演する事に重きを置いています。
その長~い歴史の中で、演目の一場面だけを抽出して舞台で再現するという「好いとこ取り」もアリだよね、となったのが現代に続く、「能以外のもの達」です。
能であって一番ではない、「独吟」「仕舞」「一調」「居囃子」「舞囃子」などなど。
大別すると、装束の有無となりますが、独吟ともなると「ただ独り」で舞台の一場面を謡い表現します。
そこには狂言の話芸に現れる囃子を見せずに拍動(リズム)を表すのと同様に、
能の謡にも囃子抜きで表現出来る躍動感への挑戦が存在します。
現代風に言うと「アカペラ」とか「子守歌」とかが同種なんじゃないかなぁと勝手に思うのですが。
今回ご紹介する梅若玄祥師(芸術院会員・人間国宝)の舞台「独吟 勧進帳」。
能「安宅」から、安宅関で関守・富樫との対決に弁慶が即席の勧進帳を読み上げるという一場面。
能では巻物をひらき、富樫の疑心を受けながら弁慶が豪壮に読み上げるくだりです。
独吟では、舞台に居ついて(正座して)ただ独り、謡います。
勧進帳は「三読物」と特別に扱われている謡でもあり、その詞章の躍動感(序破急)は格別です。