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  • TV放送のご案内

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    「TV放送」 のご案内をさせて頂きます。

    平成26年3月15日(土)14:00~17:00
    NHK Eテレ「祭りの響き ~第14回地域伝統芸能まつり」

    番組の中で、半能「船弁慶」片山九郎衛門・片山清愛 他 が放送されます。

    他の中には、地謡の私も含まれています。

    能「船弁慶」は
    兄頼朝に追われる不遇に見舞われた義経一行の物語。
    本来は二場面の構成で、静御前との離別(前)・平家一門の怨霊の襲来(後)です。
    今回は短縮上演の後半場面のみです。

    船での都落ちを現わす際には、
    船頭の狂言方が走って船を履いて舞台に運び込みます・・・

    「見るべき程の事は見つ」
    思いを残さず西海に沈んだハズの平知盛は未練たらたらに・・・
    義経一行を道連れすべく怨霊となって現れます。

    子方が演ずる義経に知盛は長刀をもって、大人気ない・・・

    「みどころ」の多い一曲です。

    催しは 先日の22日にNHKホールにて、
    日本の諸地域に伝承される芸能を集めた公演された
    「地域伝統芸能まつり」の特集編です。
    http://www.jafra.or.jp/matsuri/

    ・・・うらばなし・・・
    朝9時に舞台屋さんの為のリハーサルが行われました。

    終了後に、シテ(お父さん)から子方(ご子息)への
    舞台上での処かまわずの叱咤激励満載の稽古がありました。

    もしかして誰もが本編よりも見てみたくなる場面でした。

    打てば響く、子供の育て方。

    どうぞお見逃しなく!


  • 梅若会初会のご案内

    2014 梅若会初会

    平成26年1月11日(土)13時始

    梅若会初会の演目は「翁付邯鄲」「胡蝶」となります。

    玄祥師の能「邯鄲」では夢中ノ童を長女・絢美が務めさせて頂きます。

    翁は「能にして能に非ず」と別格に扱われ五番立ての零番に当てられ
    地謡を含む20名程の全ての演者が揚幕より厳かに粛々と歩みを進めます。
    農耕豊作・国土安穏と祈祷を主におき、演じる事を極力控える「翁」。
    年の始めに相応しい一曲です。

    その翁に続けて能が上演される「翁付」の演出。

    今回の「邯鄲」では唐土の邯鄲ノ枕の故事を御覧頂きます。
    若者・盧生が世に広く聞く「邯鄲の枕」を求め旅に出ます。
    やがて邯鄲に着いた盧生は、宿で枕を敷いて一睡に就きます。

    盧生は夢の中で自身が栄華を極めるという「夢」を見ます。

    広大な国土・群れいる人々・不老長寿・・・

    能ではこの繁栄の一場をあえて謡で象徴してしまいます。
    それは、夢の醒める時に舞台の躍動を集約する為の演出です。

    詳しい内容はこちらをご参考に↓↓↓
    http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_059.html

    続いて上演される能「胡蝶」は百花の第一とされる「梅」に縁遠い「蝶」の儚さが沁みわたる一曲です。

    主題となる蝶は「胡」の蝶です。
    古への日の本の民族は唐土へ強い憧れを持っていました。
    多くの文化意識が唐土には溢れていた時分、
    花や虫に至るまで、唐土の感性が日本へと伝えられたのです。

    通常演出ではシテは中入をして装い新たに蝶の精の後シテとなって登場しますが
    物着の小書は、中入りをしない前後場面の連続性を強めた演出となります。

    詳しい内容はこちらをご参考に↓↓↓
    http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_062.html

    ご多忙の事とは存じますが、皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。

    ~梅若会 初会~ 新春公演
    平成26年 1月11日(土)   13時開演 17時終了予定
    於・梅若能楽学院会館
    東京都中野区東中野2-6-14

    当日内容
    能「翁」 梅若長左衛門
    翁付「邯鄲」梅若玄祥 松山絢美(長女・6歳)
    能「胡蝶 物着」角当行雄

    (松山隆之は二番の地謡)

    その他、お気軽にお問い合わせ下さい。  緑翔会 能ノ会


  • 半蔀の独り言

    半蔀では「夕顔を取り巻く源氏物語」に集約した解り難い能です・・・
    この曲は源氏物語の夕顔の君をシテとし
    前場は紫式部縁の紫野の住職
    白き花の己一人笑みの眉
    たそかれ時
    名乗らず
    などから「夕顔の君」を連想させます。
    後半は五条に舞台を移します。
    ありし教え以降からは
    宿の佇まいを
    孔子の弟子達の佇まいに喩えつつ
    夕顔の知性の高さを匂わせます。
    クセではシテが源氏を演じることで
    夕顔自身は霊となっても名乗る事の無い
    儚い女性として伝え続けています。
    後半場面では終始舞台に佇む作り物との異空間が
    どの様に映ることでしょうか?
    是非、楽しい感想をお待ちしています!